2025年2月11日火曜日

内田正宏さんに関わる資料集

 


内田 正宏(1939-2004さんが亡くなられてからもう21年が経てしまった。

「去る者は日々に疎し」と言うが、内田さんのお名前を菌学の世界で目にすることもなくなった。いっときはアマチュア研究者(きのこ料理研究家)として菌学あるいは変形菌の世界で名を馳せたのに!


内田正宏さんの多岐にわたる仕事を記録しておきたく、以下のように纏めてみた。

 

雑誌類

日本菌学会会報 

32巻 113-124頁 1991

Courtecuisse R., M. Uchida, C. Andary and T. Hongo

A new Asiatic species of Pluteus (Basidiomycotina, Pluteales) with dotted pileus, and its variations

 

日本菌学会ニュース

13号(1989-21990

ワサビタケについて 91

15号(1990-21991

仙人の個展を見て 117

 

変形菌 「日本変形菌研究会」

No. 8 1987

昭和61年度採集会報告 27-30

No. 9 1988

伊藤春夫氏と変形菌について 1-5

No. 12 1994

外国の書籍購入、私の場合 7-8

No. 17 1999

Lycogala leucopodia  1

 


冬虫夏草 「日本冬虫夏草の会」

No. 6 1986

トビシマセミタケとホルスト・シュタイン 16-17

No. 7 1987

その後のホルスト・シュタインとワルツ 38-39

No8 1988年 

シベリウスとニッコウムシタケ 21-22頁 

No. 9 1989

「夏の夜の夢」とサナギタケ 23-25

No. 10 1990

すてれんきょう 36-37

No. 11 1991

蕎麦余聞 16-18

No. 12 1992

フランス料理に登場するキノコ達 34-37

No. 13 1993

続蕎麦余聞 11-13

 

夢自然きのこ2 きのこの目利き.山と渓谷社、1993

153頁 私の本棚から 冬虫夏草ならぬ“冬人夏草”?不思議な教授が主人公の小説

 

単行本

「キノコの不思議」に載る「絶品!キノコ料理」では森 毅先生の質問に答える形でキノコ料理について蘊蓄を傾けておられる。他の書籍ではきのこ料理について分担執筆されている。

内田正宏・伊沢正名・川嶋健市(著)キノコの本:育て方と使い方、文化出版局, 1983

茨城新聞社出版センター (編)茨城のきのこ.大谷吉雄(監修)、 伊沢正名・内田正宏・川嶋健市(解説・写真)、茨城新聞社、1984

横山竜夫・内田正宏・伊沢正名(著)キノコ採りの楽しみ.永岡書店、1985

森 毅 () キノコの不思議 :「大地の贈り物」を100%楽しむ法 (カッパ・サイエンス) . 光文社、1986年 19967月に光文社文庫で文庫化されている。

今関六也・大谷吉雄・本郷次雄(編著)日本のきのこ (山渓カラー名鑑).山と渓谷社, 1988年。2011年に増補改訂新版 が出されている。

内田正宏・川嶋健市(著)きのこ入門―見分け方と食べ方―.主婦と生活社, 1992

内田正宏(1995)「きのこ文学談義」に登場するキノコたち.岳父・南方熊楠『岡本 清造 (),飯倉 照平・原田 健一 ()』.平凡社,140-147

 

監修本

草土出版編集部(編)花図鑑 野菜+果物.草土出版、2008

 277-294頁にきのこの簡単な解説とその食べ方が載せられている。監修者一覧に内田正宏さんのお名前がある。内田さんの没後に刊行された書籍である。

 

週刊誌、月刊誌等でのきのこ特集の監修

週刊宝石 926日号 179-186頁、1986

 自然博物誌26 きのこ もう一つの“山のダイヤ”を賞味する

Outdoor(アウトドア) 11834-39頁、1986

キノコの先生内田正宏さんと行ってみた 毒キノコ探検!?

INTRO Ver 1.018-19頁、1993

「日本のキノコ導師 -グル- 小林義雄」

INTRO Ver 1.016-17頁、1993

キノコ入門 

 

通信講座テキスト

日本園芸協会の2001年山菜・きのこ講座で基礎編ときのこ編のテキストでそれぞれキノコ料理について解説されている。またテキストの監修者としてお名前が挙げられている。

 

(財)日本森林文化協会でのきのこ講座の講師

2000年8月3日付の手紙で、ここ数年はきのこ講座やきのこの採集観察会で講師を務めているとありますが、詳細は不明です。

 

内田正宏さんを紹介している記事

済生 「恩賜財団済生会」

佃 有(著)キノコのシーズンで多忙な内田正宏さん 76970-71頁、2000

朝日新聞 19901014日 東京本社 日曜版2面 

イキぬきイキがい 内田正宏さん 「味につられキノコ界に身」

’91家族で楽しむアウトドアガイド るるぶ情報版325 日本交通公社出版事業局、 43頁 1991

自然の中、出会いを楽しむ“キノコ先生”の優雅な日々

 

内田正宏さんへの追悼文

変形菌 No.23  98-1052005年 で7名の変形菌研究会会員が内田さんの思い出を語っておられます。

 

以上

2024年12月19日木曜日

チーズ作りで使われるリネンス菌(細菌)は枯草菌の仲間ではありません!


NPO法人カビ相談センターの会報「かびと生活」に輸入チーズ専門店の方が、

フランスでは エポワズ、マンステール、リヴァロ などがよく知られています。外皮が赤目のレンガ色をしていて、少し粘り気のある香りの強いチーズです。これらは納豆菌の仲間だと言われているリネンス菌(バクテリア)によって熟成されるチーズです。

と書かれていた(かびと生活 8巻 20-23頁 2015年)。

以下に示すようにリネンス菌は枯草菌の仲間ではありません

Domain: Bacteria

Phylum: Bacillota

Class:     Bacilli

Order:    Caryophanales

Family:   Bacillaceae

Genus:   Bacillus Cohn


Domain: Bacteria

Phylum: Actinomycetota

Class:     Actinomycetia

Order:    Micrococcales

Family:   Brevibacteriaceae

Genus:   Brevibacterium 


この記事を見てなぜこのような誤解が生じたか興味を持ち、少し調べてみたがわからず仕舞いであった。

最近改めてリネンス菌をWEB上で検索したところ、リネンス菌を枯草菌の仲間としている記事が以下のようにヒットしてきた。

 

表面を塩水やお酒で洗いながら熟成させるチーズです。納豆菌の仲間である「リネンス菌」が独特な風味、香りをつくりだしますが、中身はしっとり深い味わい。通向きのチーズともいえます。

 

さてウォッシュチーズを語るのに欠かせないのが、その独特な"匂い"ですね。調べてみると納豆の匂いだったり、脱ぎたての靴下のにおいだったりと散々な言われようですが、実際リネンス菌は納豆菌の遠い親戚のような菌なので、あながち間違ってはなかったり...

 

塩水で2日おきに表面を洗って熟成したチーズです。表面のオレンジ色はリネンス菌という細菌がつくことで現れる色です。このリネンス菌は枯草菌の一種です。そのためチーズは独特の匂いとむちっとした柔らかさが出ます。しっかりと塩味をつけています。リネンス菌は蛋白分解力が強いので、美味しいピークは短めです。工房では美味しいピークに出荷しますので、すぐにお召しあがりください。

 

ウォッシュチーズの特徴は強烈な臭いですが、これはリネンス菌が外皮のタンパク質を分解することが原因です。実はリネンス菌は納豆菌と同種とされており、活性化することで臭いだけでなく風味を作り出します。そのため食べてみると、味はとてもマイルドです。

 

(3) ウオッシュタイプ 表皮にリネンス菌という微生物を付け、熟成させるものを言います。リネンス菌は塩分濃度の い場所を好む菌で、納豆菌と同じ種類に属します

 

名前のとおり、表面を塩水やお酒で洗いながら熟成させていくチーズで、匂いも強烈なものが多いのが特徴ですが、近年では匂いも味もマイルドなタイプも造られています。 オレンジがかった表皮は「リネンス菌」という納豆菌と同じ枯草菌の一種によるもので、表皮も洗う回数によって、ベタベタしたものから乾いたものまで様々です。 また、表皮に強烈な匂いがしても、中身は意外に優しいものもあり、決して匂いと味わいが比例しているわけではありません。とはいえ、通好みなチーズが多いのもこのタイプです

 

ウォッシュタイプは日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、塩水や地酒で表面の雑菌を洗いながら作るチーズで、匂いが強く独特の風味があるチーズです。現在ではBrevibacterium linens(リネンス菌)という菌を添加して作られることも多くなっています。その土地で作られる地酒で表面を洗って作るというのが特徴です。何故そのようなことをするかと言うと、簡単に言うとアルコール殺菌です。ワイン、ビール、ブランデーなどで表皮を洗い、リネンス菌の生育をコントロールします(塩水なども使われます)。リネンス菌は納豆菌の仲間で放っておくと臭くなるからです。いずれにしても癖が強いので初心者向けではありません。通が楽しむチーズと言えるでしょう。

 

日本ではあまり一般的ではありませんが、エポワスやポン・レヴェックが有名です。白カビ、青カビタイプのように見た目からカビに覆われているということはありませんが、実は表面を洗いながら熟成させるので湿気を好むリネンス菌(ブレビバクテリウム・リネンス)が繁殖し、独特の風味が生まれます。このリネンス菌は納豆菌の親戚のような菌で、増えすぎると納豆のような匂いがしてしまうとのこと。これを防ぐためにも定期的に洗ってやる必要があるのです。


表面にリネンス菌を繁殖させることで熟成させますが、納豆菌と同じ種類の菌なので強烈な匂いが特徴です。


このテクスチャーはリネンス菌が生み出す発酵作用ですとかチーズの教科書にはサラッと書いてあったりするんだけど、このリネンス菌(Brevibacterium inens)ってのは、枯草菌(こそうきん)というカテゴリに入るバクテリア。もうここまで書いて分かる人もいると思うけど、これは納豆菌の仲間なのだよ(ちなみに化粧も落とさずシャワーも浴びずぶっ倒れて寝た後に、もし野生のヒツジみたいなニオイがしてきたらそれは、このリネンス菌の仲間がつくったものなのだよ)。

きちんと調べずに孫引きですますのは止めましょう!

 

2023年12月14日木曜日

2023年2月11日土曜日

ももんが』の平成15年5月号で

 ももんが』の平成15年5月号で


「父の政治観」『ももんが』2002年12月号所収。

2023年1月24日火曜日

Mycotaxon 誌が休刊へ

編集長が病気のため退任、1年かけて新編集長を探す。

Please note: Mycotaxon 137(3) and 137(4) are delayed due to health issues. The issues are forthcoming, and we ask for your kind patience as our editor finalizes these papers.

We have made the tough decision to put Mycotaxon on HIATUS for the remainder of 2023. During this time we will be looking for a new editorial team. More information will be provided when we have news. In the meantime, if you have any questions, please contact us at mycotaxon.hiatus@gmail.com.


Mycotaxon 誌がこのまま菌学の世界から消え去ってしまわないことを願っているが、Mycotaxon 誌は静かに菌学の世界から去ってゆくことになってしまうだろう。

北大教授 アイヌ民族に対する不適切投稿

 北海道大学総長の声明を受けて、再度、貴大学と境信哉教授に申し入れをします|C.R.A.C.NORTH|note


境信哉教授のヘイトスピーチと陰謀論の資料

2023年1月23日月曜日

徳仁親王 著 テムズとともに



 南部古書会館の古書展で、均一本棚から拾い上げた一冊。

密林では最安値19,770円で出品されていた。

2023年1月13日金曜日

除菌から助菌へ

 東都生活協同組合の機関紙 東都生協だよりdMOGMOG  No. 463 2023年1月号


MOGMOG レポート 「除菌から助菌へ」学習会 の報告記事

10月18日 田無北ブロック 

2023年1月8日日曜日

シンガー博士は何回訪日しているか?

 本郷次雄先生の「きのこの細道」を読み返していて、シンガー博士が1983年に東京で開催された第三回国際菌学会議に出席のため訪日されていたことを知りました。

国際会議終了後に今関六也先生の勧めで京都と鳥取を旅行されています。鳥取へは今関先生が同行されました。

京都では本郷先生が清水山を案内され、横山先生、村上康明君、四手井淑子さんも同行しました。下野義人さんも飛び入り参加されたとのことです。

1984年に米国のキノコ愛好家団体の日本へのキノコツアーにゲストとしてツアーに同行。富士山でのフォーレイには同行しています。

纏めますとシンガー博士は、戦前に亡命の途中で日本に立ち寄り、1983年に国際菌学会議に合わせて訪日して京都・鳥取を旅行、そして1984年に米国のキノコ愛好家団体の日本へのキノコツアーにゲストとしてツアーに同行、の都合3回訪日されています。

以上

2022年9月12日月曜日

「彼女の思い出/逆さまの森」の不誠実さ

 近刊の彼女の思い出/逆さまの森 (新潮モダン・クラシックス) を購入したところ、荒地出版社から刊行されたサリンジャー選集(2)とサリンジャー選集(3)に収録されていた作品が、そのことに一切触れずに標題を変えてあたかも初めて翻訳されたかのように収録されていることに気付いた。

2022年9月11日日曜日

再度「草臥れてーーチャー坊"村八分"の生と死(北沢夏音)」について

 北沢夏音氏の下記連載記事は、村瀬シゲト氏への追加取材を行った後に飛鳥新社から単行本として上梓されると聞いていた。しかしながら、著者とご遺族との間で記事の内容について食い違いが生じ、単行本化は見送られてしまったようだ。とても丹念に取材されていた記事が、単行本化されることなく雑誌掲載記事のままで終わってしまったことが、とても残念だ。雑誌記事が出てからもう20数年が経った今、ご遺族の了解をとって連載記事の単行本化を実現して欲しい。チャー坊が忘れ去られてしまわないように!

Quick Japan誌 連載記事「草臥れてーーチャー坊"村八分"の生と死(北沢夏音)」

Quick Japan誌 に連載された伝説のバンド「村八分」のヴォーカリスト「チャー坊」の評伝です。
山口富士夫氏などチャー坊と関わりのあった人々へのインタビュー記事を中心に構成されいます。

前編「第一部・闇からの声」Quick Japan Vol.7(1996.04)
中編「第2部・水たまりの虹」Quick Japan Vol.8(1996.06)
第3回「第3部・いきなりサンシャイン'96」Quick Japan Vol.9(1996.08)
第4回「第4部・おさらば」Quick Japan Vol.10(1996.10)
第5回「第五部・「村八分」という生き方」Quick Japan Vol.13(1997.04)
第6回「第6部・闘病の記」Quick Japan Vol.15(1997.08)
第7回「第7部・最後の日々」Quick Japan Vol.17(1997.12) 
第8回「最終話・生きる事の話し(前編)」Quick Japan Vol.19(1998.05)  
最終回「最終話・生きる事の話し(後編)」Quick Japan Vol.20(1998.07)

Quick Japan Vol.14(1997.06)の目次には「草臥れてーーチャー坊"村八分"の生と死(北沢夏音)」とありますが、この記事は休載。その代わり編集部によりチャー坊追悼ライブの記事(写真を含めて2頁)が掲載されています。

2022年8月26日金曜日

渋谷・道玄坂 石井書店&植草甚一

 椎根 和(著)オーラな人々

 

河出書房新社 (2009/2/10)


植草甚一 93-106頁


97頁

石井書店は、道玄坂を上がって、最初の横丁を右にまがり、 麗郷という台湾料理の反対側の路地を入ったところに、闇市あとの空地とも道路ともつかない妙にほのぼのとした空間にあった。つぶれそうなバラックの店舗が、三軒ほど並んで、その中央に書店があったような気がする。両側はなぜか米軍払下げの中古衣料品店で、目玉商品としてリーバイスの中古ジーンズなどをぶら下げていた。東、南、西側にはビルの殺風景な背中があった。こんな所にやってくる外国人の姿は、あんまり見かけなかったが、石井書店の店先には、パルプマガジン、アメリカン・コミックスの古本が乱雑に積まれていた。



文頭に一九六八年の夏、渋谷・道玄坂の下の大きな布地屋の前で、植草甚一サンと何度か会い、


とあるので、1968年ころの話だとおもう。


自分が石井書店に通い始めたのは1969年から1970年ごろだと思うので、自分が知る石井書店の風景とは異なっている。


2022年7月19日火曜日

植草甚一氏資料

 

あなたの想い出 文・高平 哲郎 第03回 (cokes.jp)


昭和四一年、「ファンキーおじさん」として雑誌で紹介されたとき、植草甚一は五八歳だった。ぼくが初めて植草宅を訪れたのが、一九歳で二浪したその年だった。その翌年、初のジャズ評論集が出版されてから本格的植草ブームになる。東宝の調査部に所属していた昭和二一年、植草さんは三八歳でいまの梅子夫人と見合い結婚をした。夫人は京都の大きなホテルのお嬢さんで、結婚と同時に植草さんは上野毛の夫人の実家に引っ越している。二三年、東宝争議で一三年間勤めた同社を退社、翌年から映画を中心に本格的な評論活動に入った。それから約二〇年、梅子夫人は、文士の妻として家庭的にも経済的にも決して恵まれていなかったはずである。子供はいない。
 学生時代、ぼくは植草さんの書生みたいなことをしていた。月に一、二度、古本屋につきあったりコンサートに同行したりするのが誇らしかった。経堂の線路際にあったお宅に伺うと、外出の支度ができるまで植草さんの仕事場で待つことが多かった。四畳半は本棚と積み上げられた本の山に囲まれた小さな座り机と一つだけの巨大なスピーカーの他は、植草さんと客用の座布団二枚分のスペースしかない。身体を前掲させて、茶の間をのぞくと、立ったままの植草さんに奥さんが靴下を履かせている。見てはいけないものでも見てしまったように、そのままゆっくり身体を元に戻す。やがて現れた植草さんは、自分の場所に身を置くと、かたわらのショルダー・バッグに、本やノートを詰めて留め金をする。
「梅公! 出かけるぞ!」
 茶の間にいる奥さんに声をかける。植草さんは ニヤリと笑ってぼくを見た。
「梅子ってんだけど、梅公で十分だ」
 そう言って立ち上がり、植草さんは廊下に出て突き当たりの玄関に向かう。靴の前に立つと、梅子さんがその右脇に正座し、左側の靴の踵に靴べらを当てる。植草さんの左足がプラスチックの上を滑り靴の中に収まる。同様に右足。梅子さんは体を曲げて靴の紐を結ぶ。立ち上がりショルダー・バッグを渡す。振り返ってぼくに軽く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
 すでに植草さんは玄関の外にいる。
「じゃあ行ってきます」
 植草家に伺い始めたころの梅子さんは無愛想な印象だった。
 線路脇の空き地に停めた車まで並んで歩く。
「レコードの整理のことなんですけど、今週の日曜日でどうですか?」
「はい、大丈夫です。ライスカレー好き?」
「あっ、はい」
「じゃあ作らせときましょう」
 その夜は二人で草月ホールにジャズのライヴを見に行く。
 午後一時に友人と二人で始めた五千枚は優にあるジャズ・レコードの整理は難航した。楽器別に分類し、さらにミュージシャン別に分ける。カレーの香りが漂う時分、やっと半分を終えた。四時過ぎだった。整理が済むと、植草さんに指示された通りに各ミュージシャンを十枚単位でビニール紐で結んでゆく。その紐に人名を記した名札を括りつけてゆく。すべて完了したのは九時に近かった。洗面所で手を洗って茶の間に行くと、三人分のライスカレーと水の入った三つのコップがテーブルに並べられてあった。サラダもお新香も福神漬けもなかった。味も色も学生食堂のカレーだったが、働いた後だけにうまかった。それから十年ほど、植草さんの家に伺ったが、後にも先にも梅子さんの手料理はあのライスカレーだけだった。
 梅子さんはいつも茶の間にいた。コーヒーか紅茶を置くと、茶の間に戻る。茶の間は静かだったからテレビを見ていたわけでもないだろう。気配を伺うと、ただじっとしているとしか思えなかった。帰り際、玄関から「失礼しました」と声をかけると「あっ、どうも」という声だけが帰ってきた。
 卒業して仕事をするようになってからも、植草さんの押し掛け書生は続いた。梅子さんも帰るときは玄関で見送ってくれるようになった。
 六六歳で植草さんは初の渡米でニューヨークに行った。三ヶ月半の滞在はまったくの単独だった。不在中にスケジュールのことで梅子さんに相談に行って、お寂しいでしょうねぇとお座なりの挨拶をした。すると笑顔で「一人の方がずっと楽ですよ」と言われた。いつもは亭主の陰にいる梅子さんの強い意志を見たのはそれが二度目だった。
 梅子さんが自己主張を初めて見せたのは、植草さんに十年ほど行方不明になっていた久保田二郎さんを見つけた話をしていたときだ。紅茶を運んできた梅子さんは、カップを置いた後、珍しくそこに座ったまま「この人にクボジを会わせないでください」と言ったのだ。ぼくらはやや唖然として黙ったままだった。立ち上がりながら「この人を不良にしたのはあの男なんだから。絶対、会わせないでください!」―こんなにはっきりものを言う梅子さんを見たことがなかった。
「来年は梅公を連れてってやるつもりです」
 ニューヨークから帰ったばかりの植草さんは興奮冷めやらない面持ちでそう言った。植草さんなりに奥さんに気を遣っているんだ。
 その翌年のニューヨークは約束通り二人だった。
 帰国した日、迎えに行った車の中で植草さんはニューヨークのデリカテッセンで買うサンドイッチがいかに分厚くておいしいかを熱っぽく語った。自宅に落ち着くやいなや、座る間もない梅子さんをせかした。
「おい、あれ、持ってきたろうな」
「わたしの鞄に入れてありますよ」
「すぐ、出しなさい」
 それからぼくの方を向いて得意そうな微笑みを見せると、
「持ってきたんです。高平さんにパストラミのサンドイッチを」
 梅子さんは鞄を引っかき回しながら、
「もう駄目ですよ。飛行機に乗る前の晩に買ったんですよ。半分残ったら、高平さんに食べさせてやるから持って帰れって」
 遠足のリュックから出したような、ゆがんだ銀紙の固まりがテーブルに乗せられた。
「開けなさい」
「食べられませんよ」
 銀紙からでてきたサンドイッチはお握り型の丸みを帯びていた。梅子さんが、張り付いたパンを剥ぐと中身が糸を引いた。七月である。丸一日以上、冷蔵庫なしのサンドイッチが持つはずもない。
「ほら、腐ってますよ」
「駄目かな?」
「駄目ですよ」
 植草さんの気落ちの様子は気の毒になるくらいだった。
「でもこれを見ただけで、サンドイッチの分厚さはわかりますよ」
 慰めた。植草さんは銀紙ごと固まりを持つと、
「これね、本当においしいんです」
 どうにも あきらめきれないようだった。
 段ボール二十数個に及ぶ本やブティック類は船便で届く。手持ちの荷物に入れた本や小物を並べ始めると、植草さんはサンドイッチのことなどすっかり忘れていた。
「来年はね、梅公一人でスーパーに買い物に行けるようにしようと思ってるんです」
 三回目のニューヨークには、もう一人、担当編集者のSを同行した。帰国して、植草さんは梅子さんが一人で買い物に行けるようになったと嬉しそうに話していた。
 後日、Sに聞いた。梅子さんは植草さんが半日は潰す古本屋で、黙ってじっと椅子に座っている毎日だったそうだ。
「奥さん、楽しかったのかな?」
「さぁ、どうでしょうねぇ」
 植草さんのニューヨークはその三回で終わった。翌年の夏は入院から韮山でのリハビリで潰れ、暮れに自宅に一時帰宅した翌朝に亡くなった。
 出版社の人間と知人らで通夜や葬儀の段取りを立てているころ、手伝いに来ていた妻がにわか未亡人を気遣うと「せいせいしました」という答えが返ってきたと聞いた。
 梅子さんが京都に引っ越したのはそれから数年後だ。引っ越しの際には植草さんを思い出させるものはほとんどなかった。すでに本は古本屋に、趣味で集めた小物や自作コラージュは植草甚一展なるデパートのイベントで完売。レコードは一括して知人が引き取った。あのとき結んだビニール紐はどれ一つほどかれていなかった。
 引っ越しが済んで一段落して帰ると玄関に段ボールが一つあった。妻に聞くと、梅子さんに捨ててくれと言われたがどうしても捨てられなかったので持って帰ってきたと言う。中身はパネルになった植草さんの写真やコラージュ、生原稿だった。これを見たらぼくだって捨てられなかったろう。
 ある雑誌で植草甚一特集をした際、京都の梅子さんを編集者に紹介した。その彼から数日後に電話があった。
「かなりひどいことをおっしゃってるんですけど、そのまま掲載してもいいんでしょうか?」
「いいんじゃないですか。植草さんのことを一番よく知っていた方の話なんだから」
 インタヴューの最後は「馬鹿は死ななきゃ直らない」で括られてあった。


高平哲郎(たかひら・てつお)
1947年東京生まれ。一橋大学社会学部卒業。広告代理店、雑誌『宝島』編集部をへてフリーランスとなる。74年より、アイランズ主宰。テレビ番組の構成、ステージ・ショー、芝居等の演出、および編集者として活躍。著書に、『星にスイングすれば』『話は映画ではじまった PART1男編』『同 PART2女編』『スタンダップ・コメディの勉強』(以上晶文社)、『みんな不良少年だった』(河出文庫)、『由利徹が行く』(白水社)などがある。

2022年6月5日日曜日

村尾行一氏が2020年に逝去されていた

 

村尾行一先生、逝去

村尾行一先生(愛媛大学客員教授、ほか)が昨日亡くなったという報が入った。御年8586歳である。

森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ

田中淳夫の、日本の「森と木と田舎」の話。思いつきだから、丸ごと信じないでください。 

2020/07/29付けの記事 より引用。


自分にとっての村尾行一氏と

いえば『ドキュメント東大闘争2 身分世界への換歌 林学闘争の記録 亜紀書房 1969年』だが、村尾氏の林学闘争を記録したこの本を知る人も少なくなっただろう。


高校時代の同窓生の追悼文

http://kozu5.my.coocan.jp/6HP/MuraoNoguchi.pdf

2022年1月2日日曜日

「きのこの世界」では有名人の故人へのつぶやき

文星芸術大美術学部3年の女子学生、西岡洸(たける)さん(21)が作品制作中の引火事故で重いやけどを負い、入院先の病院で死亡

への「きのこの世界」では有名人の

どうやら「表現者」らしいので、事故って死ぬのもパフォーマンスアートなんだろうね

このつぶやきはないでしょう。若人が予期せぬ事故でなくなったというのに。

2021年9月18日土曜日

野呂邦暢 古本屋写真集  が(ちくま文庫)で復刊されました

 盛林堂から出されたオリジナルは古書展目録に1万円で収載されています。

著者       野呂 邦暢 (著),岡崎 武志 (編),小山 力也 (編)

野呂邦暢 古本屋写真集 (ちくま文庫)

発売日:2021/11/12

出版社: 筑摩書房

レーベル: ちくま文庫

サイズ:192ページ

ISBN978-4-480-43777-8

税込 1,100

 

 



2021年7月14日水曜日

栃折久美子さんが逝去されました

 

2021625日に栃折久美子さんがお亡くなりになったと、製本関係の方からご連絡をいただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

栃折 久美子(とちおり くみこ、1928年12月7日 - 2021年6月25日

「ネコ印 二百科事典」https://sites.google.com/site/2hyakka/Homeより入手した情報です。


2021年7月10日土曜日

デヴィ夫人回想記より抜書き

 

デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨 

2021年6月4日金曜日

早川佐七氏のことを調べてみた

 

紙魚の昔がたり 昭和篇  – 1987/2/25

八木佐吉 洋書珍本の中の半世紀 より

326~328頁 

昭和4年 洋書だけの目録「楂考書屋圖書目録」を発行、カーチスのボタニカル・マガジンンの1787年の創刊号から目録発行年の直前まで揃っていた、131巻あった。

 昭和7年 丸善本棚ごと丸善で買って欲しいと依頼された、評価額3万八千円で買った。大部分は台湾大学へ行ったとのこと。武田長兵衛さんの文庫へも相当数が大阪支店から入ったと思う。ボタニカル・マガジンの大揃い、シベリアの植物、マキシモヴィッチの北海道の植物を調べた立派な文献も入っている

 井上周一郎 古医書・本草書の世界

井上周一郎氏 の思い出談 179頁~212頁

189頁 井上氏談 もう一人、大切な本草書の顧客は、日本橋の早川佐七さんああ

192頁 反町氏談 武田家というのは、今でもそうでしょうが、よほど豊かだったお宅なんでしょうね。早川さんの楂考書屋の本の大部分を買われた

 

http://10000privatelibrary.com/?p=557

「楂考書屋圖書目録」あり。参考文献としては、吉川澄美「日本橋漬物商小田原屋主人早川佐七の本草書蒐集とその周辺 島田筑波・武田久吉・伊藤純一郎との交流」がある。

早川植物研究所が収集した植物標本の学術的活用と標本収集活動の検証

研究課題 KAKEN — 研究課題をさがす | 早川植物研究所が収集した植物標本の学術的活用と標本収集活動の検証 (KAKENHI-PROJECT-20K01127) (nii.ac.jp)

2021年5月10日月曜日

世界一くさい食べ物「シュールストレミング」を体験しよう!

2021415日 IKEA Tokyo-Bay で開催された「シュールストレミング」体験会に参加してきました。発酵食品に興味を持つものとして、一度は体験してみたい缶詰でした。

開封時に中味液が激しく吹き出るのかとこわごわ水浴槽の中で缶切りで開封しましたが、吹き出ることはありませんでした。

臭いは、たしかに臭かったですが、鼻がひん曲がることはありませんでした。くさやと同等でしょうか。

味は珍味です。4千円で購入してまで食べようとは思いませんでした。