けっきょく蔵書は、晶文社の編集者の津野海太郎が上司の小野二郎(英文学者)と植草の友人だった篠田一士 (英文学者・文芸評論家)と相談してすべて売ることに決めた。著名人の蔵書はまとめて図書館などに寄贈されることもあるが、植草の場合はそのほとんどが雑本であり、一括してまとめて管理しても無意味だとの判断で市場に出すことになったのだ。このとき古本屋を手配してくれたのは作家の片岡義男だった。
このほか、植草が印刷物を切り抜いてつくったコラージュ類など遺品の多くは、イベント会社主催による「植草甚一展」でファンに売り出された。そこでは故人の使いかけのちびた鉛筆までもが販売されたという(高平哲郎『植草さんについて知っていることを話そう』)。
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