2014年04月03日
4/3恋文横丁の古本屋さんを妄想する
冷たい雨の降り続く中、息長~く続行中の「古ツアフェア@盛林堂」に四月最初の補充を行う。しかしその後は何処にも寄らず、真っ直ぐ家に帰宅する。部屋で端座し開いたのは、昨日買ったばかりの「スクリーン3月号/1956年」である。洋画専門の映画雑誌で、植草甚一の記事や、ヒチコック来日の特写ページ、着色が毒々しいカラー写真などが、すこぶる楽しい誌面となっている。ページをパラパラ繰りながら、流し読みで雰囲気を楽しんでいると、映画評論家・双葉十三郎の活動を追いかけた三ページのモノクロ・グラビアルポ『素顔の映画批評家 双葉十三郎氏の場合』の中にあった、一枚の写真に目が釘付けになってしまう。うぉっ!見たことも無い古本屋さんの写真じゃないかっ!それは、狭い間口の小さな古本屋さんで、双葉十三郎が店内で立ち読みをしている。店頭のラックに並ぶのは、映画・音楽・テレビの洋雑誌で、店内の本棚に並ぶのは分厚いペーパーバックのようだ。写真のキャプションには、渋谷東宝前の迷路的露地にある洋書専門古本屋さんで、良く探偵小説や西部の資料を漁っていることが書かれている。『渋谷東宝』は、道玄坂にあった映画館で、今も『TOHOシネマズ 渋谷』として健在である。その前に存在した“迷路的露地”と言えば、『109』や『ザ・プライム』の建つ場所にかつてあった『恋文横丁』であることが容易に推察出来る。と言うことは、このお店は植草甚一や田中小実昌も通った「石井書店」なのではないだろうか?脳内で、妄想がスパークして行く…。私の記憶にある『恋文横丁』は、残念ながら開発が進んだ残滓の状態で、レストランなど二~三のお店しか無い、文化村通りから道玄坂に抜ける、ビル裏の路地でしかなかった…。早速一番古い1967年発行の圖書新聞社「古書店地図帖」を取り出し、渋谷の古本屋さんを調べてみると、「石井書店」は掲載されておらず、近くに「文紀堂書店」(2010/03/02参照)と井の頭線を越えた「山路書店」があるのみとなっている。ところが1977年発行の日本古書通信社「全国古本屋地図」を見ると、こちらには『恋文横丁』にしっかりと「石井書店」が存在することになっている。地図帖からは何らかの事情で漏れていただけなのか、それとも1967年以降に「石井書店」が出来たのか…そうなると、写真のお店は「石井書店」ではないことになってしまう。だが、1950年代の『恋文横丁』の店舗地図を確認してみると、小さな古書店が一軒だけ存在していることになっている。ならばやはり、地図帖が間違っているのではないか…。続けてネットでも色々検索してみるが、『恋文横丁』にあった古本屋としてひっかかるのは「石井書店」だけなのである。その他に『洋書古書店』とだけあるものや、気になるところでは『小林さんの古本屋』『植草甚一も通っていた井上さんの古本屋』などが見つかるのだが、お店の名は明記されておらず、どちらも建築関係に特化したお店らしいのだ。しかし、雑誌と古本屋地図の二十年の隔たりが、信じたい気持ちをグラグラと揺らす…。そんな気持ちが弱り始めたところに、すべてを解決してくれる文章をようやく見つけてしまう!それは、片岡義男が書いた「渋谷の横町の石井さんのところ」と言う一文である。文字通り、植草甚一と『恋文横丁』と「石井書店」(文中では「石井古書店」となっている)について書かれたエピソードで、1976年の「カトマンズでLSDを1服」のあとがきでも、すでに「石井書店」について触れていることも書かれている(文中では、それを書いたのが1967年とあるが76年~80年に刊行された「植草甚一スクラップ・ブック」のあとがきなので、恐らく誤記なのではあるまいか)。……やはり植草甚一が通い詰めていたのは「石井書店」なのである。1976年の時点で通い詰めていたのなら、その近年にできたお店であるとは考え難い。そして『恋文横丁』にかつてあった洋書古本屋は、恐らく「石井書店」だけなのである。とにかく私は都合良くそう信じることにし、このもはや絶対に入ることの叶わぬ「石井書店」の、新たな古い夢を見ることとなってしまった。…小さな店舗が何十店も連なる、薄暗い迷路のような横丁にある古本屋さん。だが、仮に時を飛び越えることがあって、妄想したお店に入れたとしても、洋書のお店の常として、私には、何も買える本は、ないんだろうなぁ。
※近代映画社「スクリーン3月号/1956」67ページ『素顔の映画批評家』より
※近代映画社「スクリーン3月号/1956」67ページ『素顔の映画批評家』より
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